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昔、学校の同級生にいじめられていた。
大抵木の陰や人目のつかない所で一人でずっと泣いていた。
「結構、普通に行けたりするんですね」
幻想郷の山深く。人気がなくただ木々の擦れる音のみが支配するところ。神社と近くの湖とともに今度から此処に住む事になった。
もう外の世界―かつて住んでいた世界では信仰が集められないから、だ。
今は所謂引越しの後片付け等に追われていた。
それの一休みにふと早苗がポツリと漏らした、言葉。
幻想郷は外の世界で幻想になったものが流れ込んでくる世界。早苗にとって幻のような―否、正に幻想のような、空想のような、遠い存在。ずっと行く事は出来ないと思っていた世界。
案外、簡単に行けて驚いているのだろう。
「……………」
ぼう、と空を仰ぐ。澄み渡ったような、透き通るような、青空と云うよりも水色に近い。雲はもうもうと唯漂う。綺麗だと素直に感じられた。
外の世界ではこんな綺麗な空は無い。
周りを見回してみた。山奥の木々に囲まれて緑が沢山在る。木々の擦れるさらさらとした音は子守唄代わりに、此の儘眠れてしまいそうで、でもまだ眠ってはいけない。やる事があるから。
外の世界ではこんな綺麗な山は無い。
これらは全て失われたものだから。
幻想郷は外の世界で幻想になったものが流れ込んでくる世界。
だから自分たちも此処へ流れ込んできた。
幻想に、
なった、から。
「…………………っ」
堰が流れ込んで来る。抗いようの無い、素直な感情が。
思わず、其の場から飛び出してしまった。
「さーなーえー」
諏訪子の唇から放たれる言葉に答える声は居ない。しんと静まり返る神社がその言葉を飲み込んで消した。
きらりと輝く金色の瞳はきょろきょろと求めている人影を探す。しかしどれほど探しても、どれほど歩き回っても、見つからない。
こてんと首を傾げて唸る。
「あーうー…何処行ったんだろ…。まだ全部片付いてないと思うのに」
悲しそうに少しだけ伏せた瞳で庭に敷き詰められた砂利を見つめる。まるで答えを求めるように。けれど答えてなどくれやしない。解っている、そんな事。
「諏訪子、どうしたの」
ひょこりと顔を出した神奈子が寂しそうな背中に声を掛ける。
「早苗がいないの」
背中を向けたまま、まるでいじけてるように諏訪子は答えた。
受け入れなければいけない、それが此処で生きていく為に必要な事だから。だけどそれでも受け入れられなかった。認めたくない。少女は揺れる。
気が付けば見覚えの無い所にまで来ていた。
しまった。感情に任せて飛び出してしまったのがいけなかった。しかし今更気付いても遅い。
「…馬鹿だ、私」
一人ぽつりと呪詛を呟いた。どうにもならないけれど呟かずには居られなかった。
近くに在る太く大きな木に寄りかかる。
少し、疲れた。
「………ぁ」
見覚えのある木に無意識に声が零れる。微かに香るのは昔の記憶。心に根付いた記憶。
あれは、たしか、
昔、学校の同級生にいじめられていた。
大抵木の陰や人目のつかない所で一人でずっと泣いていた。
(その時に、)
「早苗」
同調する。その時と被る。ああ、やっぱり。
聞き覚えのある声に振り向くと昔の記憶とやっぱり被って。思わず駆け出して抱き締めた。
「わっ、ちょ、さ、さなえっ」
驚いた声。やっぱり、やっぱり、やっぱり、変わらずに在る体温。
(その時に、声を掛けて、慰めてくれたんですよね。)
どんなに自分が変わっていっても、喩え幻想になっても、この体温は、腕の中に在る体温は確かに在ったのだ。
(諏訪子様。)
貴女の一日が終わる時に、
そばにいるよ、ずっと。
「ん?なんだフラン、寝るのか?」
「…う、ん…」
うと、うと、うと。睡魔に襲われて頭がぼんやりとする。誰しも共通の出来事。
傍らに居る魔法使いに問われて、フランドールは少し覚束無い返答をした。何しろ、頭が正常に動かない、訳なのだから。
そうかと言って魔理沙はぽす、と優しくフランの頭を撫で始めた。おやすみの代わりに。
妖怪でも、巫女でも、魔女でも、幽霊でも、吸血鬼でも矢張りその行動をしてもらうと安心する。
心地良さそうに傍らに居る魔理沙に身を預け、すぅと紅く幼い瞳を閉じる。
暗闇。でも怖くはない。厭でもない。
安心する暗闇にフランドールは飲み込まれて行った。
「寝たな。」
静かに聞こえる寝息が何よりの証拠。魔理沙は呟いた。
こっそりとそっと寝顔を見やる。幼い、けれど自身よりはもっともっと長く長く生きている、吸血鬼。
矢張り幼く見えるのは人間よりも自分よりも寿命が長いからだと判りきってはいる。判りきっている、から。
だからずっと一緒にはいられない。
「……」
考えて悲しくなった。
彼女が、フランが此処まで大人しく安定して来たのは姉のレミリア曰く自分のお蔭だそうだ。
少し照れるけどその反面自分が死んでしまった後が不安になる。
フランは私がいなくなったら出会う前に戻ってしまうのだろうか、とか。他にも沢山あるけれど一番の不安はそれである。
ずっとずっとそばにいてあげたいけれどやはり生きれる長さがあるから。
吸血鬼と人間の、差が。
「なぁ、フラン」
「私はお前のそばに、いて良いのかな」
これからもこれからもずっとずっと、君のそばに私は居て良いのかな。
死した後きっと君は悲しむ。唯一の支えを失った君はきっと、きっと。
「…あー、馬鹿か私は」
やっぱりやめた。いつもの自分らしくない。
心の中でそう思ってふーと一息。眠るフランドールから伝わる体温が少しだけ熱くて少しだけ厭になった。
勿論自分にも嫌気がさした。
せめて、
君の一日が終わるその時だけ、
そばにいるよ、ずっと。
言えないんじゃなくて、言わないだけ。
でも、ある種、言えないのかもしれない。
うんうんと早苗は悩む。神社のとあるところ、お茶を片手に。
真面目な彼女にしては珍しく掃除等は途中放棄らしい。
ズズッ。茶を一口啜る。渋味と微量の甘味が口に広がり、しかしじっくり味わわず飲み下す。
何時もなら神奈子や諏訪子が何かと寄って来るのだが今回は居ない。
神奈子は兎も角、諏訪子が居ないのが良く判らない。
そもそも早苗は何故諏訪子が此処の神社に居る事すら良く知らないのだ。
「はぁ…」
溜息が出た。
「うーん…」
唸り声が出た。
その唸り声は其の儘静かに消えていった。
静かに消えていった言葉と同様に静かな周囲。何せ山奥。仕様がない。
言葉が引き金になってまた早苗はうんうんと悩み始める。
彼女が何についてそんなに悩んでいるのか、と言うと。
博麗神社の事だ。
「…なんで、」
信仰もクソもありゃしない、と巫女は言った。そうだ幻想郷には信仰心がまるで無い。
だから何時まで経ってもあそこの賽銭には一円も入らないのだ。
そんな判りきった事を、だけど一つだけ判らない。
博麗神社は、あそこはなんであんなに賑やかなのか。
否何時も賑やかってそう言う意味ではないのだけれど、しかし此処の神社と比べると賑やかで人気も多い。
場所も場所と言う事もあるのだろうけど如何せんわからない。
信仰は此方の方が絶対に上回ってると思うのに。
なのに、なのに。
「はぁ…」
再び溜息が出た。
絶対、それが羨ましいなんて言わない。(言えない。)
(ただのちょっとした強がり。)